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Ultimate Music Album - 極 -


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EAGLES - イーグルス -

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イーグルス結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバック・バンド編成のために

ミュージシャンが集められた機会であった

これにグレン・フライドン・ヘンリーランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4人が顔を合わせ

後に彼らは独立して1971年8月にバンドを結成することを思いつき、ロンシュタットが所属していた

アサイラム・レコードからイーグルスとしてデビューした

メンバーのグレン・フライが、当時同一のアパートに移住していたシンガー・ソングライターのジャク

ソン・ブラウンと共作した" テイク・イット・イージー "が1972年にデビュー曲でいきなりシングル・

ヒットを記録、続く" 魔女のささやき "も全米ヒットとなった

デビュー当時はカントリー・ロックのイメージが強かった

マルチ・プレイヤーであったバーニー・レドンが演奏するテレキャスターバンジョー、スティー

ギター、マンドリンサウンドがバンドのイメージを決定づけており、特にバンジョーをフィーチャー

した" 早起きの鳥 "などの楽曲にみられるブルーグラス要素をロックのダイナミズムと融合させた点は

斬新であった

プロデューサーはグリン・ジョンズで、すでにローリング・ストーンズの" ベガーズ・バンケット "や

レッド・ツェッペリンのデビュー・アルバムなど、ロック志向の強い多くの作品にエンジニアとして

関わっていた経験を持つベテランだったが、同作のレコーディング時にはイーグルスをバラード・

グループとみなして" 君たちはロックン・ロールに向いてない "などと発言し、またどの程度のカントリー

的要素をブレンドするかといった意見について、しばしば衝突を繰り返したとされる

 

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2枚目のアルバム" ならず者 "はコンプト・アルバムで、基本的にはファースト・アルバムと同様の

サウンド構成に留まり、バーニー・レドンのカラーが強いブルーグラス的な楽曲と、ロック的な要素の

曲が共存しているものの、その音楽的成熟度としては格段の向上をみせた

タイトル曲の哀愁を帯びたバラード" ならず者 "は、後にリンダ・ロンシュタットカーペンターズ

至るまで、数多くのアーティストたちにカバーされるスタンダード・ナンバーとなっている

もともと音楽的ルーツとしてカントリー・ロック志向が強い4人であったため、前作のレコーディングと

プロモーションにはかなりの労力が注がれたが、セールス的には失敗と言える有様であった

そのため、3枚目の" オン・ザ・ボーダー "においては、よりロック的なアルバムにすべく2曲を収録した

ところでプロデューサーがロック志向の強いビル・シムジクの替わり、同アルバムには" 過ぎた事 "と

" ジェームス・ディーン "という2曲の佳曲が収録されている

また、バーニー・レドンの紹介で彼の親友でアマチュア時代のバンド・メイトであったフロリダ出身の

ギタリスト、元フロウのドン・フェルダーが収録曲中2曲において参加し、ロック的色彩を強めることと

なった

ドン・フェルダーは後にメンバーとして正式加入しており、ツアーではカントリー的な楽曲ではレドン

ロック的な楽曲ではフェルダーがリード・ギターを主に担った

 

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1975年、大ヒット・アルバム" 呪われた夜 "を発表、タイトル曲" 呪われた夜 "をはじめとし、グラミー賞

ベスト・ポップ・ボーカル賞を獲得した" いつわりの瞳 "、ランディ・マイスナーがヴォーカルをとる

" テイク・イット・トゥ・ザ・リミット "と3つのヒット曲を生んだ

オリジナル・メンバーの音楽的なルーツであるカントリー色の濃い楽曲も依然みられるものの、全体と

してはロック色を強め、またタイトル曲ではAORやファンク、ダンス・ミュージック的要素を盛り込む

など、音楽的な巾はさらに広がりセールス的にも前作に続き大きな成功を収めている

しかし" オン・ザ・ボーダー "のころから続いていたメンバー間の軋轢がこのころから激化していて

デビュー当時には民主的なグループであったが、実質的に主導権を握ったドン・ヘンリーとグレン・

フライの2人の日頃からの高慢な態度にバーニー・レドンは業を煮やし、バンドの音楽的方向性への

疑問も重なったことで1975年12月に脱退している

それまでバンドの音楽的支柱のひとつであったレドンに代わるギタリストを探すのは難航したが、その

間に初のベスト・アルバム" グレイテスト・ヒッツ 1971-1975 "をリリース、このアルバムは全米だけでも

2,900万枚の売り上げを記録し、全米でもっとも売れたアルバムとして君臨しプラチナ・アルバム

第1合ともなった記念碑的作品となるなど、バンドの確固たる地位を築いた

レドンの後任には、元ジェイムズ・ギャングのメンバーであったジョー・ウォルシュを迎えた

ウォルシュの加入には反対するメンバーもいたが音楽的にはよりロック色を強める結果となった

1976年、彼らの代表作となる" ホテル・カリフォルニア "を発表、当時のロック界ひいては都市社会の

矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、1970年代の

アメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなったフェルダーの曲にヘンリーが詞をつけたタイトル曲

" ホテル・カリフォルニア "、かつての勢いを失いつつあったウェスト・コースト・ロックの凋落を皮肉る

ように、田舎町にやってきた新参者へ向けられた地元民の一時的な強い好奇心と彼が飽きられていく

様を歌った" ニュー・キッド・イン・タウン "、エゴの社会に警鐘を鳴らすかのように、好き勝手に

振る舞う無頼者が実は虚勢に満ちており、内面に苦悩を持つことを言外ににじませた" 駆け足の人生 "

など、単に人間の性や振る舞いを歌っているようにみえながらも暗に根深い社会問題を提起するような

深みのある歌詞を、角度を替えた音響アレンジに乗せて展開した曲に散りばめて、バンドとしての頂点を

醸成し、全世界的な大セールスを記録しバンドも押しも押されぬロック界の代表格にまで押し上げた

 

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しかし、メンバー間の軋轢はさらに激しさを増し、ドン・ヘンリーグレン・フライの高慢な態度の

矛先はランディ・マイズナーに向けられるようになっていた

マイズナーは以前に比べて膨大になったツアーのストレスや、音楽的志向の違いも相まって1977年の

コンサート・ツアー中に脱退、マイズナーの後任として元ポコのティモシー・B・シュミットが加入した

コンサート・ツアーを終えると次のアルバムに取りかかり、当初は2枚組で1978年にリリース予定だった

がレコーデイングに難航し、1枚組の縮小の上1979年までかかった" ロング・ラン "においては、ハード・

ロック、バラードさらにはディスコ・チューンにまで多様な音楽性に挑戦するが、制作ヴィジョンが

曖昧で展開するサウンドに、もっぱら主張や一貫性はないなどと批判された

このころ、バンドは人気絶頂期だったものの相変わらずグレン・フライドン・フェルダーの不仲や

曲作りのスランプなどからバンドは1980年に活動停止、そして1982年に正式にバンドの解散を発表する

バンド活動停止後は各メンバーが個別の活動に入り、各自のソロ・アルバムを発表したり繋がりの深い

ウェスト・コースト系のアーティストを中心にレコーディングへのゲスト参加など行っている

 

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1994年に、第1期最終メンバーによって再結成、4曲の新曲とライヴ収録曲を併収した変則アルバム" ヘル

フリーゼス・オーヴァー "を発表し、以後世界規模でのツアーを繰り返し展開する

2004年から2005年にかけては、" Farewell I Tour( 第一回さよならツアー )"土台されたツアーが行なわ

れたが" さよなら "というのはジョークであり、その後も米国内外で公演が行われている

このツアーでも相変わらずの高い人気ぶりを見せつけ、各地のコンサートは大成功に終わり、収益面でも

年間ランキングに顔を出すほどだった

2007年10月、久々の新作" ロング・ロード・アウト・エデン "を発表、この作品は13年ぶりとなる

スタジオ・アルバムで新曲のみで構成されたものとしては" ロング・ラン "以来であり、実に28年ぶりの

作品となり、全世界で爆発的なセールスを記録し衰えぬ人気を示したが、2016年1月18日創設メンバーの

グレン・フライが死去、3月10日にドン・ヘンリーが解散を表明したが・・・

 

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∈ 演奏スタイル ∋

名実ともに、音楽の黄金期である70年代を代表するバンドであり、ヒット曲を多数発表しているがどの

曲も美しいコーラス・ワークを聴かせる

デビュー前、グレン・フライは全員がヴォーカルをとれるバンドを目指しており、デビュー時のオリジ

ナル・メンバーであるグレン・フライドン・ヘンリーランディ・マイズナー、バーニー・レドンは

ファースト・アルバムである" イーグルス・ファースト "で4人全員がリード・ヴォーカルをとり、また

フライの目指していたコーラス・ワークもレベルの高いものとなった

その後、メンバー・チェンジもありロック色の強いバンドになっていったが、コーラスの美しさは落ちる

どころか、さらにレベル・アップしていった

さらに、ドン・フェルダージョー・ウォルシュというテクニックのあるギタリストが加わってからは

演奏能力も格段に上がり、ライヴもクオリティの高い演奏を観せている

また、ビートルズのレノン = マッカートニーのように、ヘンリー = フライのコンビでヒット曲を連発して

いった…ただし、レノン = マッカートニーの場合はほぼ完成した楽曲に一方がアレンジを施すなどする

関係だったのに対し、ヘンリー = フライのコンビは主にヘンリーが作詞、フライが作曲を担った

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