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David Gilmour - デヴィッド・ギルモア -

デヴィッド・ジョン・ギルモア( David Jon Gilmour,1946年3月6日 )
イギリスのミュージシャン、ギタリスト

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1968年にピンク・フロイドの正式メンバーとして加入、バンドを支えるギター・プレイやヴォーカルで

活躍する

ピンク・フロイドのほかのメンバーより2歳年下であるが、元メンバーのシド・バレットとは同い年で

学生時代から知り合いだった

ストラトキャスターを主に使用するギタリストとして知られている

ローリング・ストーン誌が選ぶ史上もっとも偉大な100人のギタリストで14位

✩       ✩       ✩

❏❏ ピンク・フロイド加入前 ❏❏
ケンブリッジ大学で動物学の講師をしていた父と、教師の母のもとにイギリスのケンブリッジで生まれる

幼少のころからギターを弾き始め、10代後半でさまざまなローカル・バンドで活躍するセッション・

ミュージシャンとなる

そのころすでにプロ・デビューしていたピンク・フロイドシド・バレットが過剰なドラッグ( LSD

摂取により活動続行が困難な状況になっていた

そこで代わりのギタリストを捜さなくてはならなくなり、旧友のデヴィッド・ギルモアに白羽の矢が

立てられることとなった

デヴィッド・ギルモアは当時、ジョーカーズ・ワイルドというバンドで活躍していたが、行き詰まりを

みせていたため、すでにプロ・デビューを済ませヒット曲を持っているピンク・フロイドへの加入を

快諾し、1968年にその一員となった

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❏❏ ピンク・フロイド加入後 ❏❏
当初の予定は、シド・バレットは曲作りやレコーディングで活動してもらい、デヴィッド・ギルモア

ライヴやメディア演出での活動を行うよう考えていた
ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンとブルース・ジョンストンのような形 )

しかし、シド・バレットの症状はあまりに酷く、バンドから脱退( 実質解雇 )を余儀なくされる

シド・バレット脱退後のピンク・フロイドは、ロジャー・ウォーターズが作詞・作曲を手がけて、

デヴィッド・ギルモアはギタリスト兼ヴォーカリストとして活躍する

最初にリード・ヴォーカルを担当したのがシングル曲の" 夢に消えるジュリア "だった

サウンド面では" 神秘 "や" 原子心母 "のアイディアを提供している

ギタリストとしては派手なプレイは少ないものの、緻密な音作りによって叙情的な美しい独自のサウンド

を生み出し、高い評価を得ている

ブルージーかつ浮遊感のあるデヴィッド・ギルモアピッキングは、フロイド・サウンドの代名詞とも

いえる存在である

また、" コンフォタブリー・ナム " " タイム " " マネー "などでのギター・ソロはロック史上に残るプレイと

して名高い

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❏❏ ソロとしての歴史 ❏❏

デヴィッド・ギルモアピンク・フロイドの中でも、もっとも外部のミュージシャンとの親交を多く持ち

グループ外での音楽活動を行っている

1978年、初のソロ・アルバム" デヴィッド・ギルモア "を発表、ピンク・フロイドのほかのメンバーに

先駆け、最初のソロ・アルバム発表となった

ピンク・フロイド加入前のバンド時代のメンバーと制作し、そのソロ・プロジェクト時に思いつき、後に

バンドで生かされたのが" ザ・ウォール "の" コンフォタブリー・ナム "である

1984年、アルバム" 狂気のプロフィール "を発表、ディープ・パープルのジョン・ロードザ・フー

ピート・タウンゼントスティーヴ・ウィンウッドらが参加し、直後にソロ名義としてツアーを行なう

1987年、ロジャー・ウォーターズ脱退後初となるピンク・フロイドのアルバム" 鬱 "を発表し世界的な

ヒットを記録、以降は再活動となったピンク・フロイドのリーダーとしてバンドを率い、ベースや

キーボードなども演奏している

1989年、" ロック・エイド・アルメニア・チャリティー "でキース・エマーソンブライアン・メイ

トニー・アイオミ、リッチー・ブラックモア、ポール・ロジャースらとともに共演を果たしている

1994年、7年ぶりとなるピンク・フロイドの新作" 対 "を発表、プロデュースも担当している

アルバム発売後には大規模なワールド・ツアーを開催、また本作で作詞を手がけたポリー・サムスン

後に結婚している

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アコースティック中心な内容で、2002年初頭にヨーロッパ・ツアーを行なう、このツアーにはピンク・

フロイドのリチャード・ライトが参加し、公演によってはゲストとしてボブ・ゲドルフ、ケイト・

ブッシュも参加した

2005年7月2日、アフリカ貧困撲滅チャリティー・イベント" LIVE8 "で黄金期メンバーの4人が集まり

ピンク・フロイドとして一夜限りの再結成を果たす

2006年、22年ぶりとなる新作" オン・アン・アイランド "を発表し、ソロとしては初の全英1位を獲得

アルバム発表後ソロ名義でヨーロッパ、アメリカ・ツアーを行っている

このツアーにもリチャード・ライトが参加しているほか、2006年5月のロンドン公演ではニック・

メイスンの飛び入りも実現している

このツアーの模様はロイヤル・アルバート・ホールの公演を収めた" 覇響 "、8月に行われたポーランド

公演を収めた" ライヴ・イン・グダニスク "にて発表されている

2015年、9年ぶりとなる新作" 飛翔 "を発表、第1弾シングル" ラトル・ザット・ロック "は刑務所の現/元

受刑者による合唱団、ザ・リバティ・クワイアが参加している

刑務所制度を見直したことがきっかけで実現し、デヴィッド・ギルモアはザ・リバティ・クワイアの

後継者にもなっている

ワールド・ツアーも開催し、1971年以来のイタリア・ポンペイでのライヴ公演が実現、同市から名誉市民

を授与されている

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