ジャズ、ロック・ギタリスト
テクニシャンとして知られ、ジャズを始めインド音楽やフラメンコ
クラシックなどの要素も広く取り込んでいる
ロンドンでスタジオ・ミュージシャンとしてキャリアを開始する
グレアム・ボンド・オルガニゼーション、ローリング・ストーンズ、ジャック・ブルースなどのアルバム
に参加し、ジョン・サーマン、トニー・オックスレーらと組んで1969年に初リーダー作" エクストラ
ポーレーション "をリリース、ジャズ要素の濃い作品で当時からジャズを主流にした非凡なセンス・
テクニック・フィーリングの持ち主だった
❋ ❋ ❋
1969年にアメリカに渡り、トニー・ウィリアムスのライフタイムに参加、マイルス・デイビスの
セッションにも参加し" イン・ア・サイレント・ウェイ "、マクラフリンの名がタイトルで入っている
" ビッチェズ・ブリュー " " オン・ザ・コーナー " " ビッグ・ファン " " ジャック・ジョンソン "などに
クレジットされている
マイルスは" ジャック・ジョンソン "のライナーノーツ中でマクラフリンのプレイを" far in( 奥深い )"と
表現したように、彼を高く評価していた
セッション・プレイヤーとしての評価も獲得し、ミロスラフ・ヴィトウス、ウェイン・ショーター、
ラリー・コリエル、ジョー・ファレルなどのアルバムにも参加している
1970年初頭にダグラス・レコードから2作目のアルバム" ディボーション "を発表、3作目" マイ・ゴールズ
ビヨンド "でインド音楽に傾倒した初期のスタイルを確立する
これには、彼が当時ヒンズー教に改宗して、ヒンズー教の高名な指導者であるスリ・チンモイの弟子に
なったことが大きく影響している
このアルバムはチンモイに捧げられ、ライナーノーツには彼の作った詩が掲載されている
マクラフリンが初めて自分の名前に" マハヴィシュヌ "を付け加えたのもこのアルバムである
マイルスの勧めもあり、1971年マクラフリンは自己のバンドのマハヴィシュヌ・オーケストラを結成
初期メンバーはマクラフリンと、ジェリー・グッドマン(vl)、ヤン・ハマー(key)、リック・レアード(b)
ビリー・コブハム(ds)でアルバム" 内に秘めた炎 " " 火の鳥 "などの中で、彼はジャズ・インド音楽・
ロックなどを独特の高度なアンサンブルで融合させることにより大きな成功を収めた
1度の一時的解散(1973年)と幾度かのメンバー・チェンジを経て、最終的には1975年にバンドは解散
するが、彼らの成功はフュージョンというジャンルの発展に大きく貢献し、1970年代のジャズ・ロック・
シーンにおいて重要なグループとなった
マハヴィシュヌ・オーケストラの解散と前後して、マクラフリンはインド人音楽家たちと一緒にバンド、
シャクティを結成、シャクティでの彼はシンプルなアコースティック・ギターを用い、ワールド・
ミュージックのハシリとでもいうべきインド音楽をジャズでアレンジした演奏を行なう
欧米だけでなくインド国内などでも演奏活動を繰り広げて、音楽的評価を受けたが、商業的には成功
しなかった
前述の通り、マクラフリンはヒンズー教の導師スリ・チンモイ師に師事しており、同じく弟子入りした
ラテン・ミュージシャンのカルロス・サンタナとは宗教上の兄弟弟子であり、1972年に2人でコラボ
レーション・アルバム" 魂の兄弟たち "を発表し、ジョン・コルトレーンのカバー曲などを収録した
1979年、パコ・デ・ルシア、ラリー・コリエルと組んでトリオを結成、1980年にはコリエルが去り
その代わりとしてアル・デ・メオラが加入、この3人は1996年にも再結成され、レコーディングと世界
ツアーを行っている
1980年代終わりから1990年代初め、彼はガット・ギターにシンセサイザーを同調させた楽器を使い
パーカッション奏者のトリロク・グルトゥ、ベース奏者のカイ・エクハルト、ドミニク・デ・ピアッ
ツァと組んでツアーを行い、アルバム" ジョン・マクラフリン・トリオ・ライヴ " " Que Alegria "を発表
また、ロンドン交響楽団をバックにした" 地中海 "を発表するなど精力的に活動、そして1995年にはこれ
までの活動を集大成した" ザ・プロミス "をリリース、一時期彼に影響を受けたといわれるロック・
ギタリスト、ジェフ・ベックとの共演が話題となった
1980年代には、一時的にマハヴィシュヌ・オーケストラを再結成( 彼以外は新メンバー )して活動を
行ない、このときの映像はDVDとして発表されており、彼はシンクラヴィアというシンセサイザーの
ギター型コントローラーを多用している様子を観ることができる
その後、エレクトリック・サウンドのハート・オブ・シングス・バンドの活動や、シャクティの元
メンバーに新規加入メンバーを加えてリメンバー・シャクティとして活動した
2004年と2007年にエリック・クラプトン主催の、クロス・ロード・ギター・フェスティバルに参加
2007年には、ゲイリー・ハズバンド、アドリアン・フェロー、マーク・モンデシールとともに、ジョン・
マクラフリン&4thディメンションとしてワールド・ツアーを行い、2008年10月にはチック・コリア&
ジョン・マクラフリン・ファイヴ・ピース・バンドとしてワールド・ツアーを、2009年2月にはブルー
ノート東京でも公演を行った
2010年開催の第52回グラミー賞において、最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバムを受賞、受賞
対象はチック・コリア&ジョン・マクラフリン・ファイヴ・ピース・バンド名義の" ファイヴ・ピース・
バンド・ライヴ "であった
2017年7月、バークリー音楽院から名誉音楽博士号を授与される
2018年開催の第60回グラミー賞において、最優秀インプロヴァイズド・ジャズ・ソロを受賞している