ジャーニーのヴォーカリストだったSteve Perry
自身初のソロ・アルバム" Street Talk "
1983年のジャーニーのアルバム" フロンティアーズ "発表から1年、ジャーニーのメンバーは、それぞれ
ソロ・プロジェクトを楽しんでいた( ロス・ヴァロリーは完全休養 )
ドラマーのスティーヴ・スミスは、かねてより念願だったジャズ/フュージョン・サウンドを思いっきり
やった" ヴァイタル・インフォメーション "を発表
ニール・ショーンはサミー・ヘイガーと組んで、自身3作目のソロ・アルバム" 炎の饗宴"を発表、
ジョナサン・ケインはトニー・ケインの" 抱きしめて "に続くニューアルバムのソングライター・
プロデューサーとして奮闘中だった
そんな中、ニール・ショーンのアルバムと同様に、あるいはそれ以上に期待されて当時噂されていたのが
§ Recorded Music §
1 Oh Sherrie - Oh,シェリー
2 I Believe - アイ・ビリーヴ
3 Go Away - ゴー・アウェイ
4 Foolish Heart - フーリッシュ・ハート
5 Only Love - オンリー・ラヴ
6 She's Mine - シーズ・マイン
7 You Should Be Happy - ユー・シュドゥ・ビー・ハッピィ
8 Running Alone - ランニング・アローン
9 Captured By the Moment - キャプチュアド・バイ・ザ・モーメント
10 Strung Out - ストラング・アウト
この当時のスティーヴ・ペリーの課外活動といえば、ケニー・ロギンスのアルバム" ハイ・アドヴェン
チャー "の中のヒット曲" サンライズ・パーティ~Don't Fight It "で共作共演したことくらいで、果たして
" ひとりになったらどんなことをやるのか? "というのは、予測できそうで、できないことだった
そのソロ・アルバム" ストリート・トーク "だが、スティーヴ・ペリー自身のプロデュースであることと
同時に、エグゼクティブ・プロデューサーにブルース・ボトニックの名がクレジットされている
スティーヴ・ペリーとブルース・ボトニックの繋がりは、おそらくケニー・ロギンスのレコーディングの
ときに始まったのだろうが、ミュージシャンのコーディネーションや最終的な音作りに、確かに
ブルース・ボトニックの持ち味が感じ取れる
次に注目したいのは、スティーヴ・ペリーと一緒にほぼ全曲の作曲に関わっているランディ・グッドラム
ビル・クウオモ、クレイグ・クラムプフ、デュアン・ヒッチングスといった面々
いずれも楽器のエキスパートで、TOTOのメンバーの次に時代を担うスタジオ・シーンの売れっ子である
スティーヴ・ペリーはロサンゼルスのスタジオ・シーンのエキスパートと組んで、ジャーニーの人脈に
一切頼らない姿勢で臨んでいたのだが" いかにもセッション "というサウンドになっていないのは立派
それどころか、ジャーニーの活動からは窺えなかった彼の趣味の広さ、リズムやサウンドの新生面への
挑戦などが明確に出ていてジャーニー臭は、ほとんど感じられない
久しぶりにソロ・アルバムの必然性を100%持ったソロ・アルバムで、なおかつジャーニー・ファンを
混乱させたり、がっかりさせたりしない出来栄えのものといっていいだろう
ソウル・ミュージック的なフィーリングで、ウエスト・コースト・ソウル調の" ゴー・アウェイ "、
" キャプチュアド・バイ・ザ・モーメント "は、1964年12月にロサンゼルスのモーテルで射殺されたR&B
の巨星サム・クックに始まり、ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディン
グなど、いずれも故人となったソウル・マンへの熱い想いをスティーヴ・ペリーが歌っている
" Oh,シェリー "で歌われている" シェリー "は、当時のスティーヴ・ペリーのステディな恋人のことであり
こうしたエモーショナルな表現、歌いっぷりは明らかにジャーニーの完成されたエンターテイメントの
世界とは違って、実にパーソナルでその分素朴な内感的魅力を運んでくれる
キーボードを効果的に使ったサウンドや、モダンなリズム・ワークも大いに魅力だがまずは、スティーヴ
ペリーという優秀なロッカーのパーソナル・テイストといったものに惹かれてしまうアルバムである