1970年代、日本の音楽関係のマスコミが使用した言葉
三大ギタリストの言葉の理由
❊ 3者ともヤードバーズ出身
❊ 3者とも当時の日本では人気が高い
❊ 各自の実力や個性、当時の活動状況などで比較しやすい
ヤードバーズをやめた後、3人はそれぞれ個別の音楽活動を展開しており、それらの活動は音楽関係の
マスコミによって日本にも報道された
そのひとつであるミュージック・ライフで特に" 三大ギタリスト "という言葉が頻用されており、1975年
にはミュージック・ライフの出版元であるシンコー・ミュージックから" 三大ギタリストの探求 "が
出版され、3者を同列に並べる形式で経歴や奏法などを比較、解説している
これに対して、同時期に出版されたほかの音楽雑誌、書籍で" 三大ギタリスト "という表現を用いない
ものもある
財団法人ヤマハ音楽振興会から1975年に出版された" ロック・ギタリスト 炸裂する音に賭ける獅子
たち "では、3者とも解説とインタビューが掲載された56アーティストのひとつとして扱われており
いずれの項目も" 三大ギタリスト "という表現は登場していない
また、ミュージック・ライフと同じシンコー・ミュージックから1978年に出版された" ジェフ・ベック
孤独の英雄伝説 "で紹介されているアルバム" Featuring Performance by Clapton,Beck&Page "と
" Beck Page Clapton "の解説で" ヤードバーズの3人のギタリスト "と記述されているが" 三大ギタリスト "
という表現は登場しない
しかしその後、シンコー・ミュージック以外の出版物にも" 三大ギタリスト "という表現は登場する
ようになった
1983年に3者が共演した" Arms Charity Concert "は、バップからライヴDVD" アームズ・コンサート 三大
ギタリスト夢の共演 "という邦題でリリースされ、リットー・ミュージック刊" ギター・マガジン "2009年
5月号に掲載された" 現代の三大ギタリスト ジョン・フルシアンテ、ジョン・メイヤー、デレク・
トラックス "という記事にはクラプトン、ベック・ペイジの解説も掲載されている
∈ Jeff Beck - ジェフ・ベック ∋
ほかのロック・スタート違い、人付き合いが苦手で友人が少なかったために、引き篭もってギターを
練習した結果、60歳を超えてなお成長し続け" 世界一のギタリスト "の称号を得た超人
ほかの伝説的ギタリストに比べても1音に対する情報量が圧倒的に違う、ひとりで違う楽器を弾いているような感覚すらある
ゲイリー・ムーア曰く" 正しいギターの弾き方はジェフ・ベックを指す "というのはある意味では正しい
ほとんどピックを使わなくなり指弾きによるタッチで音に表情をつける点、細かいアーミングを駆使して
絶妙にギターを歌わせる点、時折見せる若々しい速弾きやライトハンドなどのアグレッシブなプレイ
どれをとっても一級品
∈ Eric Clapton - エリック・クラプトン ∋
商業的にはもっとも成功することができたバランス型のプレイヤー
数々のヒット曲があり、一般認知度も圧倒的に高い
ただし、その一方で黒人に対するコンプレックスや、壮絶な恋愛、悲しい体験などがストレートに楽曲や
プレイに反映される繊細でわかりやすいアーティストという側面を持つ
プレイ・スタイルはブルースを基調としたシンプルなフレージングを主体とする
一時期ほとんどヴォーカリスト化していたが、最近ではギタリスト寄りに回帰、バラードでの歌心ある
ソロと、たまに見せるリミッターが外れたようにたたみかける演奏の対比は見事である
ジェフ・ベックに比べて" 玄人受け "はしないが、そのクラプトンの" 大衆性 "がなければ、ロック・
ギターがこれだけ世の中の一般に浸透することはなかったと思う
∈ Jimmy Page - ジミー・ペイジ ∋
上記2人が( その時々で所属していたバンドはあるが )基本" ソロ・ギタリスト/ソロ・アーティスト
という立ち位置だったのに対し、" バンドのギタリスト "としてみられるという点で大きく異なる
いわずとしれたレッド・ツェッペリンのギタリスト
もともとスタジオ・ミュージシャンだったという経歴から、楽曲に対するアプローチが素晴らしく
ギター・プレイ単体というよりリフやアレンジ全体をトータルで作り上げるアーティストとして評価が
高いが、" 手が動く "という点では上記2人に比べ劣り、一時期身体がボロボロで散々なプレイをして
いたために" 実は下手なんじゃ… "という不名誉な評判がたった
1980年代以降は単発のユニット活動はあれ、最前線にいるというよりも著作権ビジネス的な仕事が
主となった
1970年にラリー・コリエル、ジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシアがユニットを組んで10年強の
活動を行った際には、日本のマスコミがこのユニットを" スーパー・ギタリスト・トリオ "と呼んだ
こともあり、1980年ラリー・コリエルが抜けてアル・ディ・メオラに交代したときのライヴ・アルバムは
" フライディ・ナイト・イン・サンフランシスコ~スーパー・ギタリスト・トリオ・ライヴ! "という
放題がつけられている
また、ローリング・ストーン誌は2007年2月号でジョン・メイヤー、デレク・トラックス、ジョン・
フルシアンテの3人を" The New Guitar Gods "とした