スティーヴン・レイ・"スティーヴ"・ペリー( Stephen Rey "Steve" Perry )
ロック・バンド、ジャーニーの元ヴォーカリスト
父親はシンガーであり、音楽やミュージシャンに慣れ親しんで育ったが両親の離婚後、母親に引き
取られたため、彼の心に深い傷となって残った
1970年代からエイリアン・プロジェクトというバンドで音楽活動を始め、メジャー・デビューを控えて
いたが、その直後にベーシストが事故死したことによりバンドは解散
それを機に音楽活動を諦め、その後は郷里で農業を営んでいたが、業界関係者を通じてエイリアン・
プロジェクトのデモ・テープを耳にした当時のジャーニーのマネージャー、ハービー・ハーバードが
白羽の矢を立てた
ほどなくしてオーディションに合格したペリーは、ジャーニーの初代ヴォーカリストのロバート・
フライシュマンとツアー中に入れ替わる形でバンドに加入する
その後ジャーニーは、それまでのプログレッシブ・ロック風の音楽性をポップな方向に変えていく
加えて精力的なツアーをこなして人気の地位を固め、1980年代前半にはバンド史上類例のない多数の
ヒット曲をチャートへ送り込む原動力となった
ジャーニーが、アルバム" エスケイプ "並びに" フロンティアーズ "でスターへの仲間入りを果たした後
ネームバリューを得たペリーは1984年にソロ活動を始める
当時の意中であった女性への想いを歌った" Oh,シェリー "は、ソロ・デビュー・アルバム" ストリート・
トーク "の人気を牽引し、一説には" アメリカでは知らないひとがいない "と言わしめるほどのヒット曲と
なった
アルバム" ストリート・トーク "は、ジャーニーの楽曲とは一風異なるR&B寄りの作風で、彼独自の
持ち味を広く訴求することに成功し、上述の" Oh,シェリー "のほかにも" フーリッシュ・ハート "や
" ストラング・アウト "などのヒット曲を生み出している
1985年にはUSA・フォー・アフリカのアルバムにも参加し、メイン曲" ウィー・アー・ザ・ワールド "で
マイケル・ジャクソンやレイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、ボブ・ディラン、ポール・
サイモン、ダイアナ・ロス、ライオネル・リッチーなど多数のミュージシャンと共演しつつ新曲
" モーメント・ガール "も提供している
1986年のジャーニーのアルバム" Raised on Radio~時を駆けて "では、プロデュースも担当するなど
ヴォーカリストに留まらない活動をみせていたが、1987年ツアー中に脱退
その後はしばらく表舞台から遠ざかっていたが、およそ7年の時を経て1994年のソロ・アルバム
" ストレンジ・メディスン "を発表し、ファンの注目を集めた
ペリーはこのアルバムを引っ提げてツアーを行い、日本での公演も予定されていたが退行性骨関節疾患
を患いツアーを中断
療養生活の中で、彼は自身が脱退後に空中分解の状態になっていたジャーニーの再結成へ向けて可能性を
模索し始め、やがてメンバーとの合流を果たす
1996年に再結成したジャーニーの中核としてアルバム" トライアル・バイ・ファイアー "で腕を振るうが
体調は戻らず1998年に脱退を余儀なくされる
その後は、ワーナー・ブラザースの映画『 モンスター 』のサウンド・トラックのプロデュースを手がけ
たほか、デヴィッド・パックの作品にゲスト・ヴォーカルとして参加している
§ Reason for Withdrawal from JOURNEY §
歴代のヴォーカル担当の中でも、ひときわ存在感あふれるヴォーカリストだったことはバンド・メンバー
の誰もが認めている
その常に安定した音程と極めて幅の広い声域は、スタジアム・ロック・バンドが大勢の観衆に歌声を
伝えるのにピッタリだった
在籍中の作詞・作曲のほとんどに参加し、ジャーニーをヒット連発の黄金時代へと導いた
在籍10年後の1986年に発表した" Raised on Radio "のライヴ・ツアーの途中でペリーは心労を理由に
突然脱退する
母子家庭に育ったペリーは母と深い絆で結ばれており、その母を失ったことが非常にショックだった
それからまた10年、1996年にリリースした再結成アルバム" トライアル・バイ・ファイアー "でペリー
自身は一時ジャーニーに復帰する
このアルバムは大成功となり、カムバック・ツアーも組まれて再結成ジャーニーは前途洋々にみえたが
ペリーは健康上の理由からツアーの中断と延期を申し出る
ペリーはオフ中ハワイでハイキングをしていた際に股関節を負傷、これが歩くこともままならないほどに
悪化しており、検査の結果、彼は退行性骨関節疾患を患っていることが判明…ペリーは人工関節手術の
必要に迫られたが、なかなかその決断ができず、かといってその身体ではツアーを再開してもステージに
立つことすらおぼつかないというジレンマの中で時間だけが浪費されていった
一方ジャーニーのほかのメンバーたちは、カムバック・ツアーがいよいよ調子に乗り始めていた矢先に
バンドの" 顔 "が引き籠もってしまうという異常事態に業を煮やしていた
ツアーの度重なる延期を1年半にもわたって訴え続けたペリーに対し、結局ほかのメンバーたちは
早急に手術を受けて身体を治すか、さもなければ代替ヴォーカルを探すことに同意するか、という最後
通告同然の二者択一を迫った
「 俺は、今後の人生を左右しかねない重大な健康問題に直面して苦悩しているというのに、ほかの
メンバーたちにとっては、そんなことよりもバンドの興行収入を確保することを優先するのか 」と
ペリーの怒りと落胆が、彼にジャーニーとの決別を決意させる決定的な理由になった
そして脱退後は、実に7年の長きにわたって公の場には一切姿を見せず、ほとんど失踪に近い状態に
あったことからも、当時の彼の失望と挫折がいかに深い心の傷となったか窺える
なお、ペリーはジャーニー脱退した後にになって、やっと人工関節置換手術に臨んだ
手術は成功し、こちらの傷のほうは順調に癒え、ほどなく何の障害もなく歩行やジョギングができる
まで回復している
2018年8月、公式サイトに" I Know It's Been a Long Time Comin'( 長らく待たせていたのはわかって
いる )"の文字動画が現れ、ニュー・アルバム" トレイシズ "の2018年10月5日に全世界同時リリースと
シングル・カット" ノー・イレイシン "も発表、前作" ストレンジ・メディスン "から四半世紀を経て
3枚目のソロ・アルバムとなった