ロシアの思想家、グルジェフの音楽をピアノ・ソロで収録
キース・ジャレットという音楽家は、ジャズ・ファンを充分満足させるに足る表現をすると同時に、
単にジャズというジャンルでは捉えきれないような形象も生み出しているということがある
キースの音楽人生の扉は、数え切れないほど多くその都度デザインや機質の異なった扉を開いてみせる
といった具合なのだ
ジャズ・ピアノのスタイルの上では、ラグタイムからフリー・インプロヴィゼーションまで、また音楽
ジャンルの上では、フォーク・ソングからクラシック・ミュージックにおよぶまでという多種多才ぶり
なのである
その類まれな包摂力が現代の音楽カテゴリー上では区別し難いような異種交配性や、流行のサイクルの
早さをカバーすることになり、多くのファンに親しまれるということになっていった
§ Recorded Music §
1 Reading of Secred Books - 聖書を読む
2 Prayer and Despair - 祈りと絶望
3 Religious Ceremony - 宗教的儀式
4 Hymn - 聖歌
5 Orthodox Hymn from Asia Minor - オーソドックス・ヒム・フロム・アジア・マイナー
6 Hymn for Good Friday - 受難日のための聖歌
7 Hymn - 聖歌
8 Hymn for Easter Thursday - ヒム・フォー・イースター・サーズディ
9 Hymn to the Endless Creator - ヒム・トゥ・ジ・エンドレス・クリエイター
10 Hymn from a Great Temple - ヒム・フロム・ア・グレイト・テンプル
11 The Story of the Resurrection of Christ - キリスト復活の物語
12 Holy Affirming-Holy Denying-Holy Reconciling - 工程-否定-調和
13 Easter Night Procession - 復活祭の夜の行列
14 Easter Hymn - イースター・ヒム
15 Meditation - 瞑想
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キース・ジャレットは自らの分身ともいえるピアノをあるときは優しく、あるときは狂おしいまでの
激しさでもって奏で、自らをだけでなく聴き手をも酔わせしめる達人
キースはソロ・ピアノでもって前人未到ともいえる音世界を作り上げたが、彼のソロ・ピアノに対して
果たしてジャズか?と反論するジャズ・ファンも少なくない
キース自身はソロ活動を含めて、当然のことながら自分をジャズという範囲でのみ捉えてはいなかった
" 僕の場合は特殊な何々ファンというのではなく、いろんな人が集まってくるオペラ・ファンの横に
ジャズ・ファンが、またその隣にロック・ファンが座るというように "と彼自身が述べている
だから、彼の音楽、特にソロ・ピアノ・パフォーマンスを何がなんでもジャズという観点から聴き
論じようとするのは間違っている
それでも、このアルバム" 祈り "は、今までのソロ・ピアノ・アルバムとはずいぶん趣きが違う
このアルバムでキーズが演奏しているのは、G.I.グルジェフの作品でそれも" Hymn( 讃歌 )"ばかり
である
もっとも、このアルバムのオリジナルな形はグルジェフの作品集をキース・ジャレットがソロ・ピアノで
演じるというもので、分類的にはグルジェフのアルバムになるが…
いずれにしても、ここにはインプロバイザーとしてのキース・ジャレットはいない
このアルバム発表前、キーズは近い将来インプロバイザーや作曲者としてではなく、ほかの人の作品を
ソロ・ピアノでレコーディングしたいと語っていた
このときは、バッハやヘンデルの作品をレコーディングしたいといっていたが、このアルバムが予定外
から生まれたものか、あるいはそれに代わるものであるかは定かではないが、このアルバムでキースが
ソロ・ピアノでもって、ほかに人の作品を演奏しているのは確かなのである
このアルバムは上述したようにG.I.グルジェフの作品で讃歌ばかりである
" hymn "とはラテン語のイムヌスから出た語であり、一般には宗教的性格の歌を広く指し、またプロテス
タントの賛美歌のことでもある
" イムヌス - hymnus "はゴレゴリオ聖歌用語としては" 讃歌 "、すなわち韻文的( 古代では音節の長短に
よったが中世ではアクセントによることになる )な歌詞につけられた聖歌だとある
宗教家のもつ荘厳な響きが心を静め、洗い、ときとしては襟を正しめるまでの美声であることには
驚かされる
このような聴き方は間違ったアプローチかもしれないが、そんな想いで聴くのもよい
そして、その感動や身の引き締まる思いは、キース・ジャレット一人のなせる業ではなくG.I.グルジェフ
の作人の持つ" 深み "に負うところも大であることはいうまでもない