アルバム" Don't Look Back "から8年を経て
1986年に" BOSTON号 "が再び動き出した
" ドント・ルック・バック "が発売されたのが1978年、つまりこのアルバム" サード・ステージ "まで
丸々8年になる
ボストンがMCAレコードに移籍、そしてアルバムが86年早々には発売されるだろうと期待すること
さらに9ヶ月が過ぎ、新曲の" アマンダ "が到着した
8年という長きに渡る不在と、当時まだ解決されぬままのCBSとの訴訟にも関わらずこのカムバックは
成功を収めた
ボストンはラジオにもレコード店にも大歓迎されシングル・カットされた" アマンダ "は225のラジオ局中
144局が放送リストの加え、HOT100の51位に初登場、ノーマン・ハンター氏は各レコード店からの
注文状況から、アルバムがNo.1になるであろうと語っていた
MCA側も期待を上回る出足の好調ぶりを感じ、またバンド・マネージャーのジェフ・ドレンフェルドも
" 我々が留守をしていたのが嘘のようだ ファースト・アルバムを出したような気分さ "と感想を述べて
いた
§ Recorded Music §
1 Amanda - アマンダ
2 We're Ready - ウィア・レディ
3 The Launch - ザ・ローンチ
ⅰ) Countdown ⅱ) Ignition ⅲ) Third Stage Separation
ⅰ) カウントダウン ⅱ) イグニッション ⅲ) サード・ステージ・セパレーション
4 Cool the Engines - クール・ザ・エンジンズ
5 My Destonation - マイ・ディスティネーション
6 A New World - ニュー・ワールド
7 To Be a Man - トゥ・ビー・ア・マン
8 I Think I Like It - アイ・シンク・ライク・イット
9 Can'tcha Say ( You Believe in Me ) / Still in Love - キャンチャ・セイ~スティル・イン・ラヴ
10 Hollyann - ホリーアン
§ Band Member §
Brad Delp - ブラッド・デルプ( Vo )
Tom Scholz - トム・ショルツ( G,Key,B )
Jim Masdea - ジム・マスデア( Ds )
Gary Pihl - ギャリー・ピール( G )
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1976年リリースの" 幻想飛行 "は全米チャート3位、売り上げは800万枚に達しデビュー作としては史上
最高の記録とされていた
セカンド・アルバムはアメリカ国内で約300万枚のセールスを上げた" ドント・ルック・バック "で全米
チャート1位を記録している
新人グループとしては、当時デビュー作と2作目の間に2年をおくというのは異例だった
しかも" ドント・ルック・バック "、録音には3ヶ月しかかけず、ミックス・ダウンに1年2ヶ月を費やし
たという事実が、そのころすでに囁かれていた" トム・ショルツ=完全主義者 "の認識を強めたものだ
全世界では1作目が1,000万枚、2作目が600万枚のセールスでその後も売り上げを伸ばし、ボストン・
ファンは姿を消すどころか増え続けていた
このアルバム前のメンバーは、バリー・グロドー(g)、フラン・シーン(b)、シブ・ハシアン(ds)、ブラッド
デルプ、トム・ショルツだったが、ボストンとして活動を停止してからもグロドーはソロ・アーティスト
としておよびグループ、オリオン・ザ・ハンターとしてアルバムを発表していた
今回のアルバムにクレジットされているメンバーはショルツとデルプのみで、ほかの3人はバンドから
離れていた
クレジットされているジム・マスデアは" 幻想飛行 "でもドラムスを手伝い" 特別な謝意 "を捧げていた
ジムで、ギャリー・ピールはかつてのディ・ブラインドネスなるグループに在籍していたギタリストで
ある
ドレンフェルドによるとトム・ショルツは" サード・ステージ "に1万時間以上を費やしており、
そのようなやり方がEPICとの決裂の原因となった
1983年" ドント・ルック・バック "から5年を経た時点でCBSはショルツとボストンに対して200万ドルに
およぶ訴訟を起こしていた
5年間で10枚のアルバムを制作するという契約を守らなかったというのが理由で、当時この裁判は
終わっていなかった
未解決のまま、ボストンの弁護士はグループとMCAの契約を成立させたわけだが、CBSはこの契約を無効
とする訴えを起こすが85年に棄却される
CBSとの契約不履行については係争中で、100万ドルで解除となりそうだったが、ボストンの印税も
絡み500万ドルの規模で支払いを求めるほどに発展していた
前の所属会社とのトラブルが続いていた中で頭の痛いことだったようだが、それはボストンの人気に
いささかも影響していなかったし、実際に人々がいかに" サード・ステージ "を待ち望んでいたかを
" ひしひし "と感じることができた