Davis Sylvianの2作目で2枚組のスタジオ・アルバム
1枚目がヴォーカル曲のみ、2枚目がインストルゥルメンタルのみの構成
前作" ブリリアント・トゥリーズ "のロックの影響が色濃く残る音楽を想像していたファンからはあまりに
ジャズのような音空間を構築しているとして驚いて迎えられた
実際に本人も今作をレコーディングする前にジャズをよく聴いていたとインタビューで語っている
このころのデヴィッドはゲオルギイ・グルジエフの思想に傾倒していた
1991年に参加するジャパンの再結成プロジェクト、" レイン・トゥリー・クロウ "では、デヴィッドの
麻薬常習癖が障害となって本格的なジャパンの再始動とならなかったと囁かれた( " ゴーン・トゥ・
アース "の作風、音空間が常習者のそれであると指摘する声があったが真偽のほどは不明 )
今作で共作したロバート・フィリップとの縁は後にも続き、1993年にはシルヴィアン/フィリップ名義の
" ザ・ファースト・ディ "をリリースしている
§ Recorded Music §
1 Taking the Veil - テイキング・ザ・ヴェイル
2 Laughter and Forgetting - ラフター&フォーゲティング
3 Before the Bullfight - 闘牛が始まる前に
4 Gone to Earth - 遥かなる大地へ
5 Wave - ウェイヴ
6 River Man - リヴァー・マン
7 Silver Moon - 銀色の月
--
1 The Healing Place - 傷を癒やしに
2 Answered Prayers - アンサード・プレイヤーズ
3 Where the Railrood Meets the Sea - 鉄道と海
4 The Wooden Cross - 木製の十字架
5 Silver Moon Over Sleeping Steeples - 銀色の月、そして教会の尖塔
6 Camp Fire : Coyote Country - キャンプ・ファイヤー:コヨーテの国
7 A Bird of Prey Vanishes Into a Bright Blue Cloudless Sky - ア・バード・オブ・プレイ
8 Home - 故郷
9 Sunlight Seen Through Towering Trees - 木もれ陽
10 Upon This Earth - いとおしき大地
このアルバムを聴いていると映像が見に浮かぶ、どの曲も鮮やかに場面が浮かんできて脳内では映像
作品がシンクロする
捏造のその映像はおそらく聴く側にしか楽しめないものだが、自然の風物が中心の謎めいた映像は歳月と
ともに変化してますます精緻になっている
見たこともない映像が次々に引き出されるのは、このアルバムの音楽が聴く側の脳に作用して識閾下の
種族的記憶を呼び覚ましているようにすら思える
前半の艶のあるデヴィッドのヴォーカル・パートでまどろみ、後半で遠くで鳴り響くインストに熟睡する
ようなそんな1枚で、通しでじっくり聴き入るというアルバムではなく前半のヴォーカル・パートで声を
堪能しても後半のインストではデヴィッドの声を期待するものを拒絶するようなインストが最後まで続く
何といっても透明感と開放感に満ちたインスト・パートが美しい
ジャズとポップの境界線を深く掘り、独走状態で己の世界観を探求する姿勢は、ジョニ・ミッチェルに
似ているかもしれない
最高傑作とされる次作の" シークレッツ・オブ・ビーハイヴ "は、ここに確立したスタイルを凝縮した
ものだが、2枚組の今作のほうが" 量 "による説得力に圧倒される意味で特筆すべきものである
同時代のコクトー・ツインズなどと同じく、時代を超えた普遍的な唯美主義の境地に達しており、
2枚目のインストも今聴いても有効、残響の醸し出す空気感が美しい
デヴィッドはアンビエントの作家としても一流だと思うが、音色が実に良い…ノスタルジーを追い求め
つつ情緒の垂れ流しにならないバランス感覚が憎い
こうした作風の音は往々にして無機質になりがちだが、彼の場合は内省的で思慮に富んでいるというのも
傑出した個性である
アルバム全編に漂う妖気のようなものを感じることができる
耽美的で呪文のようなデヴィッドのヴォーカル…お勧めは" テイキング・ザ・ヴェイル "と" 銀色の月 "
バックのロバート・フィリップのギターも決まっている
インストの楽曲は、決して単調ではなく映画のスクリーンを連想させるいい雰囲気の曲が揃っている
これを" 環境音楽 "と揶揄する人もいると思うが、多分そうではなく、幾何学のように重なり合う透明な
音のつらなりにデヴィッドの美的な心象風景のこだわりを感じることができる
スティーヴ・ナイがプロデュースし、ロバート・フィリップが参加して醸し出される独特で繊細な
サウンド・スケープは、3作目にしてキャリアの頂点に達してしまったようで、今聴いても悔しい限り
分類不可能な新しいポップスが誕生を告げるアルバムである