アメリカ合衆国のロック・バンド" BOSTON "
1970年代後半から1980年代にかけて隆盛した" アメリカン・プログレ・ハード( スタジアム・ロック )"
の代表的グループのひとつとして知られ、創設者トム・ショルツが全般を創作するプロジェクトの
一面を持つ
デビュー早々からミリオンセラーを連発し、全世界での総売り上げは7,500万枚以上を記録している
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7歳からピアノを習い、マサチューセッツ工科大学在学中にギターを独学で覚える
大学卒業後はポラロイド社に就職しプロダクト・エンジニアとなった
仕事の傍ら、電気工学の知識を生かして自宅アパートに多重録音可能なスタジオを構築、そこで作り
上げたデモ・テープがCBSレコードに認められ契約する
1976年、1stアルバム" 幻想飛行 "をリリース、シングル・カットされた" 宇宙の彼方へ "とともに全米
チャートで上昇アルバムは3位を獲得し、同年だけで100万枚を売り上げアメリカン・ロックの新しい
次代を開く歴史的作品となった
1978年、ツアーの合間を縫って慌ただしく制作された2ndアルバム" ドント・ルック・バック "も全米
1位のヒットを記録する
ただ大手のCBSに所属し、ポップなロック・サウンドだったためジャーニー、TOTO、スティックスらと
ともに産業ロックとの批判を浴びた
以降次作の発表が待ち望まれたが、完璧主義者のショルツのレコーディング作業はなかなか進まず
ついにはCBSレコードに契約不履行で訴えられ法廷闘争に突入、ボストンの活動は一時停止する
1986年、法廷闘争が決着しMCAレコードへ移籍、8年ぶりの3rdアルバム" サード・ステージ "を発表し
シングル・カットされた" アマンダ "が全米1位を獲得、アルバムも2作連続で1位を記録した
その後も悠々自適のペースでアルバムを制作、1994年に4thアルバム" ウォーク・オン "、1997年の
ベスト盤をはさんで2002年に5thアルバム" コーポレイト・アメリカ "を発表
2007年、リード・ヴォーカルを務めるオリジナル・メンバー、ブラッド・デルプが急死、この件によって
同年夏のボストン全米ツアーは中止となる
翌年HR/HMバンド、ストライパーのマイケル・スウィートが参加しツアーを再開
2013年、11年ぶり6thアルバム" ライフ・ラヴ&ホープ "を発表
デビューアルバム" 幻想飛行 "のほとんどをトム・ショルツひとりで作った事実を、当初CBS側はにわかに
は信じなかった
デモ・テープを聴いた担当者は" 現存するあらゆる作品の中で、もっとも素晴らしい作品である "と
評価したといわれている
アルバムの制作はショルツの完成度の高いデモ・テープの内容を、プロのスタジオのクオリティで
忠実に再現することに費やされた
ブラッド・デルプのヴォーカル以外は、ほとんどすべての楽器をショルツ自身が演奏しており、バンドの
メンバーはデビューにあたってライヴ活動を行うために集められた
当初ライヴ活動のことは念頭になかったショルツであるが、アルバムの発売に合わせてツアーを敢行する
ことでプロモートとしアルバムの売り上げを確実なものへとするのが当時のセオリーであったので
当然ツアーはするものと考えていたレーベルの強い勧めに従って急遽オーディションを行ったと
いわれている
再録音にあたっては、デモ・テープ同様ブラッド・デルプによりヴォーカルがつけられた
また、シブ・ハシアンとジム・マスデアによるドラム・パートが録音され、バリー・グロドーによる
印象的なリード・ギターも付け加えられた
その音源を持ってショルツは自身のスタジオにこもりミックス作業に没頭するが、レーベル側からの
" プロのクオリティで "という強い圧力はかかり続けた
エペック・レコードから立てられた音楽プロデューサーのジョン・ボラインは、この問題を解決する
ため集められたバンド・メンバーによるレコーディングを" 1曲だけ "プロのスタジオで行いレーベル側の
目くらましに利用したといわれる
全曲さまざまな音源を何重にも重ね、独特の分厚い重厚感をもたせた楽曲群だが多重録音に必要とされる
リズム・ボックスを一切使用せず、曲のテンポはすべて" 手拍子 "で測っていた
ただし、そのことによりいわゆる" 一発録り "的な迫力が生まれ、ほとんどショルツひとりの演奏にも
かかわらず、あたかもビッグ・バンドであるかのような迫力あるサウンドになっている
しかし、逆にショルツひとりが関わったミックス作業には大変な労力が必要となった
アルバム・ジャケットにクレジットされている" No Synthesizers Used( シンセサイザー使用せず )"
" No Computers Used( コンピューター使用せず )"という有名なクレジットは決してハッタリではなく
その綿密に加えられた音源と、膨大な時間と労力を費やしたミックス作業を物語るものである
∈ Brad Delp( ブラッド・デルプ )∋
2007年3月9日、リード・ヴォーカルを務めるオリジナル・メンバー、ブラッド・デルプが急死した
このときデルプはニューハンプシャー州アトキンスの自宅にひとりでおり、争った形跡などはなかった
という
地元メディアのウェブ・サイトなどによると、デルプはボストンの夏ツアー・コンサートと自身の結婚に
備えてた時期だったようで、死の数時間後にはボストンのウェブ・サイトに" We've just lost the nicest
guy rock and roll. "というシンプルな追悼メッセージが表示された
3月14日、ハンプシャー州警察の発表およびロイター通信が発表したところによると、遺体が発見された
浴室には車の排気筒からホースが引き込まれており、検死の結果デルプは一酸化炭素中毒による自殺で
あることが判明した