1976年にロサンゼルスでスタジオ・ミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロを
中心に結成される
2008年3月のボブ・スキャッグストの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言し、公式ウェブ
サイトで7月23日に正式に解散を発表、その後ALS( 筋萎縮性側索硬化症 )を患ったマイク・ポーカロの
救済目的で、2010年7月にヨーロッパ各地で期間限定としてツアーを行った
翌2011年9月には日本でもツアーが実現し、以降は多くの来日公演を重ね、2015年には9年ぶりにオリジ
ナル・アルバムを発売するなど事実上恒久的な活動を再開している
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∈ バンド名の由来 ∋
メンバーによって、またそのときによって説明が異なっているため、正確には不明であるが元メンバー
ボビー・キンボールの本名" ロバート・トトース( Robert Toteaux )"をもじったもの、" すべてを含む "
を意味するラテン語を英語風に変えたもの、日本の衛生陶器メーカー" TOTO "からとった( 来日の際、
東陶のトイレを欲しがったといわれる )など、複数の説およびメンバーの説明がある
ただし、衛生陶器メーカーのTOTOからとったという説については、デビュー当時日本での人気が先行し
ていたため、日本のファンへのリップ・サービスがてらジョークとして音楽雑誌"ミュージック・ライフ "
のインタビューで語ったものである
また、キンボールの本名説に関しても、実際の本名は" トトース "ではなく、これもメンバーによる
ジョークであると考えられている
なお、2012年まで公式ウェブ・サイト内のバンド・ヒストリーでは次のような説明がなされていた
⇢ バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『 オズの魔法使い 』を観たばかりであったジェフが
映画に登場する犬の名前" トト "をテープに書いてすぐ判別できるようにした
その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ" トト(toto) "はラテン語で" total "、あるいは
" all-encompassing(網羅的な)"を意味することがわかった
これは数々のセッションに参加していたメンバーの経歴やどんなジャンルの音楽にも対応できる
バンドの演奏能力にピッタリであるということから、デビュー・アルバムのタイトルおよびバンド名と
して採用された ⇠
現在はこの記述は削除されているが、オズの魔法使いの部分を除き同様の回答をしているインタビューの
映像がDVD作品" グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア "に収録されている
解散直前のインタビューで、スティーヴ・ルカサーが語るところによると…
「 バンド名がブランドになってしまっているからもう変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃ
ないんだ…俺が命名に関わっている訳じゃないし、気がついたらそういう名前になっていたんだけど
イヤんなっちゃうよ、世界的に有名なトイレメーカーと同じ名前なんだぜ
皮肉っぽくてギャグとしては面白いと思うけどね 」と語っている
同時に、ルカサー自身は
「 バッド・ホール・サーファー( Butt Hole Surfer )のほうが良かったが、もっとマジメにやれと拒否
された 」とも語っている
∈ 音楽的特徴 ∋
一般的には、典型的なAORサウンドと評され、また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有している
ことからジャーニーなどとともに産業ロックと形容されることがある
実際に、そういった趣きが色濃い曲も多く、それゆえヒット曲が多いのも事実である
作品全般を通して聴くとハード・ロックからプログレッシブ・ロック、ジャズ・フュージョンといった
さまざまなスタイルを内包している
ロック評論家の渋谷陽一は、松任谷正隆がデビュー当時のTOTOについて" こういうサウンドを出したい "
と発言したことを紹介している
専任のヴォーカリストがいるにも関わらず、ギタリストのスティーヴ・ルカサーやキーボードの
デヴィッド・ペイチがリード・ヴォーカルをとることが多い
( TOTO最大のヒット曲" アフリカ "はペイチのヴォーカルである )
また、スティーヴ・ポーカロもリード・ヴォーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィン
リンゲインもキーボード兼リード・ヴォーカルとしての加入で、" フォーリング・イン・ビトゥイーン "
では、彼のリード・ヴォーカル曲も多くフィーチャーされステージでは休止中のペイチのヴォーカル曲を
代行しているなど、ビートルズやキッスさながらに演奏人が歌うバンドとしても知られている
デビュー当時がちょうどサウンド・エフェクター、シンセサイザーという音楽関連テクノロジーも飛躍的
に発達し普及した時期にピッタリと重なっていたこと、および先進技術の恩恵を潤沢に受けられる
ロサンゼルスのスタジオ・ミュージシャンからキャリアをスタートさせたことから、当時" スペイシー
( Spacy )"と音楽雑誌が称していた
空間的に広がりに散乱するような華やかなサウンドで、ほぼ同時期にデビューしたボストンと並んで
この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの雛形となったサウンドを提起した
より具体的には、全体のエフェクトにリバーブやゲート・リバーブ、ギターにはコーラスなどを多用し
アンプを通さず直接ミキサーのインプットに入力したクリスタル・クリーンなどと形容されるギター・
サウンド、ペイチのジャージーなピアノやオルガン、エレクトリック・ピアノ、そしてスティーヴ・
ポーカロのブラス系を含む煌やかなシンセサイザー・サウンドは、まさに1980年代サウンドの典型である
ヒットを連発していた時期のTOTOにおいて、バンドの中心人物でドラマーのジェフ・ポーカロのリズム
は重要だった
ポーカロは、リズム・ヘリテッジの" スワットのテーマ( 反逆のテーマ )"にも参加した凄腕のドラマー
で、基本的に16ビート調の曲が多いのだが、通常の8ビートや16ビートでも独特のハネとウネリがあり
それが初期のTOTOをTOTOたらしめているといっても過言ではない
特に顕著なのが" ロザーナ "に代表されるような3連ゴースト・ノートを多用する16ビートのハーフ・
タイム・シャッフルである
レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムやスティーリー・ダンでプレイしたバーナード・パーディから
影響を受け、ボ・ディドリーのパターンも加え独自にアレンジしたというリズムは、未だ多くのドラマー
の課題となっている
全員が、マイケル・ジャクソンなどの大物アーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり
TOTOの成功にも関わらずスタジオ・ワークを縮小せず精力的だったこともあり、1980年代にはジャンル
を問わず彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが量産された
∈ バンド・メンバー ∋
結成時メンバー内、キンボールとハンゲイトを除く全員が少年期からの旧知の仲であり、高校時代には
すでにバンドを組んでいた
時が経って1975年、ボズ・スキャッグスのアルバム" シルク・ディグリーズ "の製作時に再び集まった
のがきっかけでTOTOは結成された
( メンバーチェンジは繰り返され、時代ごとにラインナップが異なる )
- David Paich( デヴィッド・ペイチ )- Vo,Key
オリジナル・メンバー、初期には楽曲のほとんどの作曲を担当し、ジェフとともにTOTOの音楽的方向性をリードしていた事実上の中心人物
代表的なヒット曲は彼の作品が多い
2004年より2008年の解散まで、家族の病気を理由にツアーやライヴには参加せず、レコーディングのみの参加となっていた
この間のライヴでは、ペイチのヴォーカル曲はグレッグ・フィリンゲインズがほとんど代行した
再結成を呼びかけた張本人であり、再結成後はツアーにも完全復帰している - Steve Lukather( スティーヴ・ルカサー )- G,Vo
オリジナル・メンバー、" キング・オブ・ディザイア~欲望の王国 "以降の作品からは実質的なバンド・リーダーとして活躍
ヴォーカリストとしては初期はクリアなタイプの声質で、特にバラードをメインに歌っていたが、上記アルバムのころからハスキー・ボイスの変化している
TOTO以外でもセッション・ミュージシャンとして広く活動している
スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートで、友人のスタジオ・ミュージシャン、ギタリストのマイケル・ランドゥは一学年下の後輩である
ペイチ、ジェフ、マイクは高校の先輩である
結成以後、唯一すべてのステージと作品に参加している - Steve Porcaro( スティーヴ・ポーカロ )- Key,Vo
オリジナル・メンバー、ポーカロ兄弟の末っ子
80年代、TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザー・サウンドは彼によるものでTOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものといえる
" ファーレンハイト "を最後に脱退するが、次作" ザ・セブンス・ワン~第7の剣 "でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる
マイケル・ジャクソンのモンスター・ヒット・アルバム" スリラー "収録の" ヒューマン・ネイチャー "はスティーヴの作編曲である
このアルバムのほかの曲も含め数曲でキーボードも演奏している
再結成では正式メンバーとして復帰、20年以上ぶりにツイン・キーボードとなった - Joseph Williams( ジョセフ・ウィリアムス )- Vo
映画音楽の作曲家ジョン・ウィリアムズの息子、キンボールと並ぶ代表的ヴォーカリスト
正式メンバーとしては2作の参加にもかかわらず、彼をTOTO史上最高のヴォーカリストという声も大きく、復帰を望む声もあった
もともとヴォーカリストのみならず作曲家として活躍していたキャリアから、TOTO在籍時には楽曲の面でも非常に貢献した
" ザ・セブンス・ワン~第7の剣 "を最後の脱退したが、その後もTOTOの作品に作曲やゲスト・ヴォーカルとして参加していた
再結成ではボビーに変わり正式参加 - Jeff Porcaro( ジェフ・ポーカロ )- Ds
オリジナル・メンバー、ポーカロ兄弟の長男
結成から死去までTOTOの中心人物、リーダーとして活躍
1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布後アレルギーによる心不全のため38歳で死去 - Bobby Kimball( ボビー・キンボール )- Vo
オリジナル・メンバー、1984年" アイソレーション "製作中に脱退、1999年の" マインドフィールズ "より復帰し解散まで籍をおいた
メンバー・チェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なヴォーカリストである
2010年の再結成には不参加 - Mike Porcaro( マイク・ポーカロ )- B
ポーカロ兄弟の次男、セッションとしては" 聖なる剣 "からすでに参加しているが、正式加入は直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から
同作に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオはハンゲイト脱退直後に撮影されているため、映像に映っているのはマイクだが演奏自体はハンゲイトという状態になっている
2007年にALSを発症したため療養に専念、リーランド・スカラーが代役を務めた
当初はALSであることは伏せられ、腕のトラブルとだけ公表し復帰は回復次第とされていたが、復帰は叶わずTOTOは解散、病気がALSであることが発表された
TOTOの解散は彼の病状が大きな原因といわれていた
しかし、再結成もマイクの闘病支援が目的であり解散・再結成ともに彼の病気がきっかけとなっている
病気のため実際のツアーには不参加だが、再結成以降も正式メンバーに名を連ねている
2015年3月15日、8年にもおよぶ闘病の末死去、59歳