Deliver Great Music

Ultimate Music Album - 極 -


== Sponsord Link ==


YES - イエス -

f:id:freedom126:20190213153636j:plain

 

1968年の結成以来、現在に至るまで長い歴史を誇るイエスだが、圧倒的な統率力を持ったリーダーが不在

であったことから、その間のメンバー・チェンジは激しく、複雑だ

オリジナル・メンバーはジョン・アンダーソン(vo)、クリス・スクワイア(b)、ピーター・バンクス(g)

トニー・ケイ(key)、ビル・ブラッフォード(ds)の5人で、1969年に" イエス・ファースト・アルバム "で

レコード・デビュー、1970年にはセカンド・アルバム" 時間と言葉 "をリリースする

このころのイエスは、ファースト・アルバムでバーズの" アイ・シー・ユー "、ビートルズの" エヴリ・

リトル・シング "、セカンド・アルバムでリッチー・ヘヴンズの" チャンスも経験もいらない "、バッファ

ロー・スプリングフィールドの" エヴリディス "をカバーするなど、サイケデリック・ロックの域を

超えられず、独自性にも乏しいものだった

 

f:id:freedom126:20190213153829j:plain

 

エスサウンドに変化が訪れるのは、ピーター・バンクスが脱退し、元トゥモロウ~ボタストの

スティーヴ・ハウ(g)が加入して1971年に発表した" イエス・サード・アルバム "からで、新加入の

スティーヴ・ハウの卓越したギター・プレイが聴けるライヴ・レコーディングの" クラップ "を始め

" ユアーズ・イズ・ノー・ディスグレイス " " スターシップ・トゥルーパー " " アイヴ・シーン・オール・

グッド・ピープル "など、その後のステージのセット・リストに好んで取り上げられた大作を含んでいる

ことからも、このアルバムはイエスのとってまさに出発点というべき作品となる

トニー・ケイから元スローブスのリック・ウェイクマン(key)にメンバー・チェンジをしたイエスは、その

リック・ウェイクマンのマルチ・キーボードによりスケール・アップされ、1972年に" こわれもの "

" 危機 "といった傑作を立て続けにリリース、アルバムはもちろん" こわれもの "からはシングル

" ラウンドアバウト "の大ヒットもあり、イエスは名実ともにトップ・グループの仲間入りを果たす

しかし" 危機 "における膨大なレコーディング作業に嫌気がさしたビル・ブラッフォードが脱退、アラン・

ホワイト(ds)が加入し、1973年にはライヴ・アルバム" イエスソングス "をリリース

1974年には

ヒンズー教の経典よりヒントを得た2枚組の4面に各1曲という" 海洋地学の物語 "をリリースし、より大作

志向を強めていく

グループ活動と並行して" ヘンリー八世と六人の妻 "などのソロ活動でもヒット作を連発していたリック・

ウェイクマンが脱退、元レフュジーのパトリック・モラーツ(key)が加入し、同年" リレイヤー "を

リリースする

順調なペースで作品のリリースとツアーを重ねていくイエスであったが、リック・ウェイクマン

ソロでの成功に刺激されてか、1975年から76年は" ビギニングス(スティーヴ )"、" 未来への飛翔

( クリス )"、サンヒローのオリアス( ジョン )"、" ラムシャックルド( アラン )"、I( ストーリー・

オブ・アイ )( パトリック )"とメンバーのソロ・アルバムが次々とリリースされた

 

f:id:freedom126:20190213153617j:plain

 

今度はパトリック・モラーツがソロ活動に自信を深め脱退、当初ゲスト参加の予定だったリック・

ウェイクマンが結局復帰し、1977年" 究極 "、1978年" トーマト "をリリース、" 究極 "からは" 不思議な

お話を "が全英でトップ3に入るヒットを記録、イエス復活を大いにアピールした

しかし新作のリハーサル中にメンバー間の対立があり、結局1980年にジョン・アンダーソンとリック・

ウェイクマンが脱退、残った3人は" ラジオスターの悲劇 "でお馴染みのバグルズの2人、トレヴァー・

ホーン(vo)とジェフ・ダウンズ(key)を迎え、" ドラマ "をリリースするがセールス的には失敗に終わり

1981年にはスティーヴ・ハウが加入したばかりのジェフ・ダウンズを引き連れエイジアを結成し、

いよいよイエスは空中分解してしまう

残されたクリス・スクワイアとアラン・ホワイトは元ラビットのトレヴァー・ラビンと初期イエス

メンバーだったトニー・ケイとともに新バンド、シネマを結成、トレヴァー・ホーンをプロデューサーに

迎えてレコーディングは完成直前のところまでいくが、そこで何とクリス・スクワイアがジョン・

アンダーソンを呼び戻し結局シネマはイエスへ変名、こうして新生イエスの第1弾" 90125 "が1983年

にリリースされるが、シングル・カットされた" ロンリー・ハート "が初の全米No.1を獲得するなど

驚異的なセールスを記録し、かつてない大成功を収める

 

f:id:freedom126:20190213153829j:plain

 

 

1987年には同メンバーにて" ビッグ・ジェネレーター "をリリースするが、またしてもジョン・アンダー

ソンが脱退、ビル・ブラッフォードリック・ウェイクマンスティーヴ・ハウなどとともにアンダー

ソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ( A.B.W.H. )を結成、1989年に" 閃光 "がリリースされる

俗にいう" 二つのイエス "が存在した時代である

A.B.W.Hは次作のアルバムに取りかかるがトレヴァー・ラビンに楽曲の提供を依頼したことをきっかけに

A.B.W.H.の4人とイエスの4人が合体、何と8人編成のイエスが誕生し1991年に" 結晶 "がリリースされる

しかし、これも長続きはせず、ビル・ブラッフォードリック・ウェイクマンスティーヴ・ハウ

相次いで脱退、結局" 90125 "のメンバーで1994年" トーク "がリリースされる

その後もメンバー・チェンジを繰り返しながら、1996年" キーズ・トゥ・アセンション "、1997年

" キーズ・トゥ・アセンション Vol.2 "、" オープン・ユア・アイズ "、1999年" ザ・ラダー "を

リリースしている

2015年6月、クリス・スクワイアが急性骨髄性白血病の死去、アラン・ホワイトはクリスの遺志を尊重し

バンド意向を表明、現在もツアーなど勢力的に活動している

 

f:id:freedom126:20190213153624j:plain

 

f:id:freedom126:20190213153631j:plain