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Ultimate Music Album - 極 -


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FOREIGNER - フォリナー -

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バンド名" フォリナー( =外国人 )"は、英米が混在するメンバー構成を由来とする

活動初期はハード・ロックアメリカン・プログレ・ハードの範疇にあり、フリーやバッド・カンパニー

をモデルとしたサウンドで、デビュー当初から大きな成功を収めた

1970年末から、徐々にキーボードを前面に出したAORサウンドに変化していき、バラード曲を主体に

さらなる支持を得る

" ミドル・オブ・ザ・ロック "という独自のジャンルであるともいわれ、特に1980年代の音楽市場で莫大な

利益を上げた

莫大なセールスをもたらした商業主義的手法が、ジャーニーやスティクスとともにスタジアム・ロック

典型として挙げられることも多い

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1976年ニューヨークにて、元マウンテンのレスリー・ウェスト・バンドで活動していたミック・ジョー

ンズや元キング・クリムゾンイアン・マクドナルドが、セッション仲間のデニス・エリオットに

ルー・グラム、アル・グリーンウッド、エドガリアルディのアメリカ人たちと意気投合し発足した

ロック・バンド、トリガーという暫定のバンド名でデモ・テープを各社に持ち込み、大手レーベル、

アトランティック・レコードと契約、名をフォリナーと改めてデビューする

それぞれ名の通ったバンド・ミュージシャンが集まった経緯から" スーパー・グループ "の誕生と話題に

なった

1977年、1stアルバム" 栄光への旅立ち "を発表、全米4位を記録し400万枚を突破しデビュー作から早くも

成功を手にする…シングルの" 衝撃のファースト・タイム "もヒットした

1978年の2ndアルバム" ダブル・ヴィジョン "が前作を上回る500万枚に達して全米チャート3位を記録し

シングル・カットしたタイトル曲" ダブル・ヴィジョン "が全米2位に上昇、同年に早くも来日公演が実現

1979年、音楽性の相違からエドガリアルディが脱退して、リック・ウィルスに交代、3rdアルバム

" ヘッド・ゲームス "は全米チャート5位を記録し、300万枚の安定したセールスを維持した

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1980年、次作の制作を開始する中、ミック・ジョーンズとルー・グラムの主導権が強くなり、不満を

持ったイアン・マクドナルドアル・グリーンウッドと対立、結局イアンとアルが脱退し残る4人編成で

活動を継続する

1981年に発表した4thアルバム" 4 "が1,500万枚以上の空前のヒットとなり、全米チャート10週連続

1位を記録、翌年のアルバム年間チャートでは3位を記録した

シングル" ガール・ライク・ユー "も全米チャート10週連続2位を記録、翌1982年に初のコンピレーション

作品" ベスト・オブ・フォリナー "をリリースする

1984年、5thアルバム" プロヴォカトゥール "をリリースし、翌1985年にシングル" アイ・ウォナ・ノウ "

が初のシングル・チャート1位を獲得、年間チャートでも4位を記録する

しかし、この時期をピークにバラード曲スタイルのマンネリ化も進んでいて、ルー・グラムはバンドの

今後を危惧するようになる

1987年、6thアルバム" インサイド・インフォメーション "を発表したころには、バラード路線を維持

したいミックと反対するルーとの確執が表面化する

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3年後の1990年、ルー・グラムが正式に脱退し、代わりにジョニー・エドワーズが加入、翌1991年に

心機一転の7thアルバム" アンユージュアル・ヒート "を発表するが、全米チャート100位以下の惨敗に

終わる

1992年には、オリジナル・メンバーのデニス・エリオットやリック・ウィルスら主力が脱退、そこで

ミックはルーとの関係を改善してバンドに呼び戻し、新たに編成を組み直す

1994年、8thアルバム" Mr.ムーンライト "を発表、ここから暫くオリジナル・アルバムのリリースが

途絶える

1997年、ルー・グラムが脳腫瘍を患い活動が停滞、手術を施して翌年に復帰するが投薬やリハビリの

影響もありパフォーマンスは芳しくなかった

2000年代に入り、ようやくルーの体調が回復して活動が活発化、2002年にはデビュー25周年に関連した

多くの企画を実施したが、ここを区切りに翌年ルー・グラムが再び脱退する

これでオリジナル・メンバーはミック・ジョーンズだけとなった

2004年から2005年にかけ大幅なメンバー・チェンジを実行、新ヴォーカリストにケリー・ハンセンが

就任、ジェイソン・ボーナムやジェフ・ピルソンといった著名なミュージシャンが加入した

そしてデビュー30週年に向け大々的なライヴを企画

2009年、15年ぶりの9thアルバム" キャント・スロー・ダウン "をリリース、久々に全米チャートTOP30

入りを果たした以降、ライヴを主軸とした活動にシフトしていく

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