ギタリスト・ヴォーカリスト" Leslei West "
1969年ソロ・デビュー、その後" Mountain "結成
ニューヨークのフォレスト・ヒルズで生まれ、少年時代にエルヴィス・プレスリーを観て音楽に目覚め
最初に弾いた楽器はウクレレだったそうだ
1960年代中期よりヴァグランツというバンドで活動し、フェリックス・パパラルディの推薦によって
アトコ・レコードとの契約を得て、1967年にはオーティス・レディングのカバー" リスペクト "が
東海岸でローカル・ヒットとなった
1969年、ウェストはソロに転向してパパラルディのプロデュースによるデビュー・アルバム" マウンテン "
を制作、ビルボード200で72位を記録した
同年にはパパラルディとともにマウンテンを結成し、1970年にはバンドとしてのデビュー・アルバム
" 勝利への登攀 "からシングル・カットされた" ミシシッピー・クィーン "が全米21位のヒットとなった
マウンテンの活動と並行して、1971年にはザ・フーのアルバム" フーズ・ネクスト "のレコーディング
セッションに招かれ、最終的にアウト・テイクとなった" ベイビー・ドント・ユー・ドゥ・イット "に
参加したのに加えて" 無法の世界 "や" ビハインド・ブルー・アイズ "といった曲のデモ録音にも参加した
なお、ウェストの参加した" ベイビー・ドント・ユー・ドゥ・イット "は、2003年に発売された" フーズ
ネクスト "のデラックス・エディション盤にボーナス・トラックとして収録されている
マウンテンが1972年に一度解散するとウェストはコーキー・レイング( マウンテンのドラマー )、
ジャック・ブルース( 元クリーム )とともにウェスト・ブルース&レイングを結成して、第1弾
アルバム" ホワイト・ドンチャ "はビルボードで26位を記録するが、次作" ホワイトエヴァー・ターンズ
ユー・オン "は87位に終わった
1973年にはマウンテンを再結成し、ライヴ・アルバムとスタジオ・アルバム1作ずつリリースした後に
再び解散となる
1975年にファントム・レコードから発売されたソロ・アルバム" 華麗なるファッツビー "には、ミック
ジャガー、キース・リチャーズらと共作した" ハイ・ローラー "が収録され、ジャガーはレコーディング
にもギターでゲスト参加、またエド・キング脱退後のレーナード・スキナードに加入する話も持ち上がる
が実現しなかった
1978年にはカリフォルニア州に移住し、スティーヴ・マリオットとともに" ファーム "という新しい
バンドを結成しようとするが、最終的にはニューヨークに戻ってギター教室を開く
その後、コーキー・レイングとともにマウンテンの再結成を計画し、1985年にはマーク・クラークを
迎えた編成で" 風林火山 "をリリースしたが、この再結成は短期間に終わりウェストは1988年のソロ
アルバム" テーマ "で再びシャック・ブルースと共演した
その後はソロ活動を主体としつつ、レイングとともにマウンテンも継続的に再結成しているほか
アーティストのセッション・ミュージシャンとして参加することもあり、ビリー・ジョエルのアルバム
" リヴァー・オブ・ドリームズ "では3曲でギターを弾き、ジョー・リン・ターナーのカバー・アルバム
" アンダー・カバー2 "および、オジー・オズボーンのカバー・アルバム" アンダー・カバー "では、
マウンテン時代の曲" ミシシッピー・クィーン "のレコーディングに本人参加した
2011年、糖尿病の合併症により右足が悪くなり、6月に切断手術を受けるが同年にはスラッシュ、ビリー
ギボンズ、ザック・ワイルド、スティーヴ・ルカサーなどをゲストに迎えたソロ・アルバム" ユージュ
アル・サスペクツ "を発表、2011年1月にはライヴ活動も再開させている
ジョニー・ウィンターの遺作となったアルバム" ステップ・バック~ルーツ2 "では、" のっぽのサリー "
にフィーチャリング・ゲストとして参加した