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Ultimate Music Album - 極 -


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Santa Esmeralda - Don't Let Me Be Misunderstood:悲しき願い -

アメリカとフランスの混合グループ" Santa Esmeralda "
サウンドはディスコというより" ラテン "のリズム

 

" 悲しき願い "…1964年、ベニー・ベンジャミン、ソル・マーカス、グロリア・コールドウェルの3人が

共作した楽曲

ニーナ・シモンにより最初に歌われたこの曲は、エリック・バートン、ヒルトン・ヴァレンタイン、

チャス・チャンドラー、アラン・プライス、ジョン・スティールというイギリス・ニューキャッスル

生んだアニマルズにより大ヒットを記録した

イギリスでは1965年初頭" アイム・クライング "に続くシングルとして、アメリカでは" ブーン・ブーン "

に続くシングルとして大ヒットを記録した

日本でも" 朝日のあたる家 "とともにアニマルズの大傑作として覚えている人も少なくないと思う

エリック・バートンの特徴のある個性的なヴォーカルで有名なこの曲は、アニマルズのイメージがあまり

に強いためなのか、なかなかリバイバル・ヒットをさせにくい曲であったようだが、それをリロイ・

ゴメスをフィーチャーしたこのサンタ・エスメラルダは見事に漸新なアイディアを持ってレコーディング

をしたのだった

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§ Recorded Music §
1 Don't Let Me Be Misundersood~Esmeralda Suite - 悲しき願い~エスメラルダ・スィート
2 Gloria - グロリア
3 You're My Everything - ユー・アー・マイ・エブリシング
4 Black Pot - ブラック・ポット

 

Don't Let Me Be Misunderstood

Don't Let Me Be Misunderstood

 

 

このサンタ・エスメラルダの" 悲しき願い "の大ヒットが生まれた背景には、ジャン・マヌエル・デ・

スカラーノとニコラス・スコルスキーという2人のプロデューサーのアイディアと、リロイ・ゴメス、

そしてアレンジャーのドン・レイの共同プロジェクトにあり、ジャン・スカラーノとニコロラス・

スコルスキーはフレッシュな魅力を持ったディスコ・ミュージックを制作することを考えていた

2人はエレクトリックなギミックは使わずに、もっと生の音を出す根チュラルなサウンドのディスコ

ミュージックのサウンドを考え、メカニックなサウンドよりも、より人間的な暖か味を持った音を

考えていた

そんなとき、あるコンサートでリロイ・ゴメスと出会い、このサンタ・エスメラルダのアイディアは

具体化されることになった

 





 

Don't Let Me Be Misunderstood / Esmeralda Suite (feat. Leroy Gomez)

Don't Let Me Be Misunderstood / Esmeralda Suite (feat. Leroy Gomez)

  • Santa Esmeralda
  • ディスコ
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes
 

  

" 悲しき願い "を取り上げるアイディアはリロイ・ゴメスが出した

彼は長年の念願として" 悲しき願い "を取り上げたいと思っていたのだった

これに対しニコラスは、アレンジャーにドン・レイを選び狙っているサウンドのアイディアを説明し、

このサンタ・エスメラルダの" 悲しき願い "はでき上がった

先行で発売されたシングルでは、4分弱に短く編集されていたが、このアルバムでは" エスメラルダ・

スィート "とともに約16分の壮大なスケールを持った作品に仕上がっている

サンタ・エスメラルダの" 悲しき願い "の特徴は、何といってもフラメンコ調のユニークなアレンジにある

生のギターの音色に哀愁あるブラス・ストリングスが被さってくる

しかもリロイのヴォーカルは、エリック・バートンに負けず劣らず強力なパワーを聴かせているし

曲の力強さはまったく失われていない

このサンタ・エスメラルダの" 悲しき願い "がヨーロッパで最初に発表されたのが1977年7月、そして

秋から冬、そして1978年に入り世界的にヒットの波は広がっていった

 

サンタ・エスメラルダの中心人物、リード・ヴォーカルをとりサックス、フルート、そしてギターを

弾くリロイ・ゴメスは、1949年8月アメリカはマサチューセッツ州ボストンから離れた小さな町のウエア

ハムに生まれたポルトガル系のアメリカ人

17歳でバークレー音楽院に進み、そこでチャビーと友人になったことからタバレスのバック・ミュージ

シャンとして活動することになった

タバレスには4年間在籍イタリーでグループを離れ、その後彼の活動場所はアメリカからヨーロッパへ

" 悲しき願い "の大ヒットとともにリロイの活動場所も世界的なものとなり、アメリカやイギリスの

ミュージシャンを加えた12人編成の新グループの結成などの話もあった

このアルバム全面に生ギターが効果的に使われているほか" エスメラルダ・スィート " " ユー・アー・

マイ・エブリシング "で聴かせるリロイのセクシーで甘いヴォーカルも聴き逃がせない

アニマルズの" 悲しき願い "同様、ヴァン・モリソンいたゼルが1965年に発表、その後アメリカでは

シャドゥズ・オブ・ナイト、ニューヨークのパティ・スミスも取り上げている不朽の名作" グローリア "も

テイクされている