Karajan & Berliner Philharmonikerの十八番ともいうべき
Brahmsの全曲集
生涯人嫌いで、晩年はさすがの親友たちも離れていったという逸話の持ち主ブラームス、おまけに
ゲイでもないのに、生涯の恋人クララと結ばれることもなく…かなり危ない天才
しかしこれを聴けば、ブラームスは本当は幸福になりたくてたまらなかった人だとわかる
そしてブラームスは、ぼんやりとたなぼたな幸福を求めていた人ではなく、強烈に幸福を求めていた
人なんだというのもわかる
その幸福への渇望は、媚でもなく願かけでもなく、強さである
ブラームスの理想はとてつもなくかけ離れた" どうしようもないこの世 "で幸せになりたい…自分と
クララ以外に理解者なんていないこの世、それでも幸せになりたいという凄みさえ感じさせる強烈な
ブラームスの幸福への渇望である
§ Recorded Music Disk Ⅰ §
1 Un Poco sostenuto-Allegro - 交響曲 第1番 ハ長調 作品68 第1楽章
2 Andante sostenuto - 交響曲 第1番 ハ長調 作品68 第2楽章
3 Un Poco allgretto e grazioso - 交響曲 第1番 ハ長調 作品68 第3楽章
4 Adagio-Piu Andante-Allegro non troppo,ma con brio - 交響曲 第1番 ハ長調 作品68 第4楽章
5 Allegro con brio - 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90 第1楽章
6 Andante - 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90 第2楽章
7 Poco allegretto - 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90 第3楽章
8 Allegro - 交響曲 第3番 ヘ長調 作品90 第4楽章
§ Recorded Music Disk Ⅱ §
1 Allegro non troppo - 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 第1楽章
2 Adagio non troppo-L'istesso tempo,ma grazioso - 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 第2楽章
3 Allegretto grazioso ( quasi andantino )-Presto ma non assai-TempoⅠ - 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 第3楽章
4 Allegro con spirito - 交響曲 第2番 ニ長調 作品73 第4楽章
5 Allegro non troppo - 交響曲 第4番 ホ長調 作品98 第1楽章
6 Andante moderato - 交響曲 第4番 ホ長調 作品98 第2楽章
7 Allegro giocoso-Poco meno presto-TempoⅠ - 交響曲 第4番 ホ長調 作品98 第3楽章
8 Allegro energico e passionato-Piu allegro - 交響曲 第4番 ホ長調 作品98 第4楽章
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" 流麗なレガートの美学 "を根本原理としたカラヤンの音楽観にピッタリのニ長調は、最高級の絹糸の
ような繊細なピアニッシモから爆発的なフォルテッシモまでベルリン・フィルは一糸乱れぬ完全性を
示していて、カラヤンの意図と一体となった驚くべき演奏と断言していい
もともと十八番だったハ長調は( 1961年頃のウィーン・フィル盤もコンセプトは同じで、カラヤンの
この曲に対するビジョンが確固たるものであったことを示す )ブラームスの堅固な構築と徹底した
" 音楽の建築学者 "でもあったカラヤンのビジョンが融合、ベルリン・フィルのメンバーも一心不乱に
弾いている
" 何事が起きたのか "と慄然とせざるを得ない異様なほど重厚で意味深い第1楽章序奏部、冥界の門の
前での孤独な対話のような第4楽章序奏がカタストローフ的崩落を遂げたあと、静謐の中から聴こえて
くる有名なホルンの感動的な呼びかけが聴こえたあたり、晩年のカラヤンならではの諦念の陰影が濃い
慣習的なアッチェランドもまったく自然だし、異常なまでの長く鳴らされる最後の和音は、あたかも
この世=この曲との別れを惜しむカラヤン自身の心情を吐露しているようである
ゴージャスなのに感動的、カラヤン美学の集大成と呼びたくなるゆえんである
ブラームスの交響曲" 入門 "には手頃な全集で、ウィーン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウと並び
世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルのハーモニーは美しく、指揮するカラヤンの音に対する
こだわりが感じられる
第1番の第1楽章からカラヤン、ベルリン・フィルらしい重厚な音で始まる
80年代のカラヤンは完成度に陰りがみえるという意見もあるが、良い意味で音楽的に筋肉質なところが
抜けて、またディジタル録音によって音質もより素晴らしいものになっていて、80年代には70年代の
カラヤンにはない良さが充分にあるような気がする